mimininimu’s blog

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アラサー喪女がメンタルの話をしているなんの役にも立たない日記

日記

こんにちはgmです

やさぐれマンボッ!イェス!ボンバイエッ!愚痴入りまーーす。

まず日報かと思われるような今日の話をしたいと思います。ここは私による私のための場なので、何をしてもいいのだ。現実での知り合いが見ていないな所で語られる私は架空の存在かもしれないし。

 

私はとても頑固で歪んだ己の思考を曲げないという、強くて・人が離れていくような鋼の卑屈さを小脇に抱えて人生を生きています。そんな私の持論はだいたい私に取って間違ってるとはいかないにしても、他人からしたら歪んでおり、それは結局は客観的な私の分析ではないし、やりたいことが複数あってそれと同じ数だけやりたくないなと思っていて、それらはいつも矛盾しています。

昨日の入院を強く勧められたのが結構ショックで、でも、他人や友達や家族にいうのも違うなと思ってしまいました。私のウケるところは、過剰に人を気にしており、それは、嫌われることや相手が気分を害すことで、その恐怖の前には、私が他人の要望を叶えたことで私が苦労するとわかっていても、恐怖の前には霞むので、私は自分で自分の首を絞めていってるわけです。

入院が苦しいと思ったのは、年内の埋まっている予定を蹴ることはできないのだが、蹴ってまでも休みたいという願望があるからだと思いました。毎日を送るのが辛いのに、その原因を取り除くことに恐怖を感じているのです。一貫性が取れてない時点でおかしな話だなと思いました。

結局我慢ができずに、一番会う頻度の高い友達に、手紙のような長文ラインで昨日の状況を説明して、あなたに取って私はどうするべきだと思うかという相談をしました。結果は私がほしい「休むべきだと思う」という答えが得られて、それに対して泣いていたので救われたとは思うのですが、頑固な私が「じゃあ休もう」とはならずに、結局苦しんだし、打ち明けてしまったことにすごい後悔しました。私が嫌うメンヘラの迷惑な行動をなぞってしまったと思って、二重苦でした。

その後寝たものの、2時間ぐらいで目が覚めてしまい、短時間睡眠を繰り返し、5時くらいで、外が明るくなってきたからもう起きようと思いました。

私のよく喋る口と、バカみたいなことしか考えられない思考を即刻!今すぐ!止めたいです。

 

数年前に選民思想の暴走で消したツイッターアカウントを、今年こっそり復活して、変わり果てた高校の同級生(小娘だった彼女たちはスレた大人・雌になっていた)のツイートの覗き見がやめられません。全然理解できなくて、精神衛生上よくないのでやめるべきとはわかっていますが、やめられません。これをネットストーカーと呼ぶのでしょうか。

すごく疑問なのが、発達を理解した旦那と結婚して、精神の問題を理由にバイトをやめた彼女の毎日の何が辛いというのでしょうか。旦那の金で生活して、家で療養できるのに。辛さは本人が感じるものであり、人がおしはかるものではないと思いますが、”医者と家族と、進行していく色々な出来事とそれについていけないダメな私”の妄想に取り憑かれていた現在の私は、彼女のことが少しも理解できません。別の子も同じような理由で理解できません。

でもきっと見方を変えたら、私だって他人から「医者に任意入院を勧められたぐらいで印籠持った気になっている低俗な人間」に映るのでしょう。卑屈が過ぎますが、辛いです。

明日も予定が入っています。

医者に行くときに、元気な状態を宣言しに行く人間はおおよそいないと思うので、医者は私が辛くなった状況しか知らずに判断を下したわけだから、ご飯も1日に少なくとも1度は食べて、人とあって口を動かしている時点で、私はまだ大丈夫。

今日はこれを書き終えたら家に帰るかどうかはまだ悩んでいるけれども、残って作業をするという選択肢があるし、大丈夫。

頭で思っているうちはそうでもないけど、独り言で、相手に対するとりあえずの対応ではなく、自分を鼓舞しようとして、大丈夫とかがんばろっていうと、声の汚さに寒気が走ります。自分を励ます自分なんて大嫌いです。被害者ぶってるみたいだから。

 

終わります。

 

日記

こんにちは。gmです。

ここ1週間ぐらい夜間の咳が止まらない+昨日から今日まで引き続き喉が痛いので、風邪をひいたのかと考えています。今日は風邪だと考えて病院に行ったんですけど、そのあと人と話したら、喉のゲジゲジ+咳は花粉症の可能性もあるそうです。エーーー何それすごく難しい!とにかく薬を飲むととりあえず一時的には落ち着くので、もらった4日分、落ち着くまでは飲もうと思います。

 

最近特別展「運慶」公式サイトを見にいきました。平日なので空いているだろうと思ったら、そこそこの混み具合。すごく不思議に思ったのですが日本人ってなんであんなに、小さい密度の高いものによっていくのでしょうか?小さい箱付きのケースの作品の方が見難かった。ケースに入っていない、大きい作品の方が人が寄っていなくて、じっくり見れました。ちょっと驚いたのが、仏像に向かって手を合わせている人がいたこと。

シニア層の多い日でしたが、(私は最近洋画をみすぎたせいで、縋れるような存在・信仰の対象があるということはすごく救いになるのではないかと思っていて、キリスト教に興味がありますが、)仏教には全く興味がありません。親にこなくていいと言われたので、墓参りも十数年行っていなくて、自分の墓の宗教がなんなのかも知りません。でも、信仰がある人にとっては、後年になって評価された美術作品が”祈り”という高貴な行為を思わずしてしまうほどに価値のあるものなのだと思い、驚きました。

それは鑑賞や、観察という単純な行為に、”信仰”という価値観がプラスされたものになります。単純な興味ではなく、その人の日常生活や、バックグラウンドの反映された、行為になると思います。これはすごいものを見てしまったなと思いました。

あとすごい混んでたから、空いてる日にもう一度、人垣ではなくて作品を見に来ようと思って、学芸員さんに空いている日はいつぐらいですか?って聞いたら、今日は空いている方ですよと言われてオヒョーっとしました。

土日の混み具合は相当酷く、平日がお勧めで、さらに平日の午後は午前中よりも空いているそうです。

 

先ほど病院に行ってきて、すごい衝撃を受けました。

なんとー!、入院を勧められました。

前回予約した日にちまで我慢できそうにないなと思って、1週間早めたのですが、入院しましょだなんて言われると思ってなかった…。なんか怖くなって考えますってとりあえず逃げてきました。

薬もそのままなので処方箋もなく、ただ医者の前で泣いて帰ってきただけ。何しに行ったんだろうか…。

私は実は今大学生なのですが、通院のことを教授にも家庭にも専攻の人たちにも言っていません。言ってないというか、周りも薄々気づいてはいるけど、病名はいってないしグレーって感じですかね。

入院について言われた時は驚いたのと困ったって感じでしたが、病院を出た後はひたすら恐怖でした。もう病院に行きたくないです。

「私は辛いし休みたい気持ちもあるけど、もっと頑張りたいんです」って医者に言ったところ、「多分もう無理です。危ない状況なので、診断書を書きましょうか?」と返されました。怖くない??????

3ヶ月までなら休学扱いにはならないらしいんですけど、私の課題の提出・闇のTA・バイト・家族にバレること・発表の予定、全部一気に「どうすんだ、休むなんて無理だろ!」という思考で頭がいっぱいです。いや、無理でしょ。入院したら全部できなくなったり、いろんな人にバレたりするわけです。そんなことをぐるぐる考えて歩いて、気づいたらラーメン屋さんに入って、「トッピング、メンマで。」って頼みました。ほら、元気じゃん。

病気の人は多分ベットで寝ている、動くことができずに。

一方で私はラーメン屋さんで割引使って飯を喰うぐらいの元気がある。

これは病気じゃない。入院の必要はない。

じゃあなんでこんなに悩んでいるのかというと、休みたいなという気持ちもあるからです。でも、人間なんて大体の人が、休みたいと思いながら毎日を送っているよね。

全てがわからなくなってきます。

 

本当はこの間読んだ本の話や最近好きな音楽の話をしようとしていたんですけど、無理でした。終わります。

見た映画

ものすごくうるさくて、ありえないほど近い

原作の小説探しに近所のブック●フ行ったけど売ってなかった。一気に全部見れなくて、二日に分けてみたんですけど、最後の方すごい泣きました。母親が、全部知ってたシーンとか。上映の時に、めちゃくちゃネットでいじられてた印象しかなかったけど、スゲーーーーいい映画だったよ。

映画の途中で、オスカーの苦手なことや、葛藤がずっとあるんだけど、彼は多分アスペだったと思うんだけど、私はアスペじゃないけど見ながら、わかるぅぅ〜〜って思っていました。辛抱堪らなくなって自傷するシーンとか、オスカーにとって怖いたくさんのもの。残念ながら私には天才的な思考も、支えたり理解しようと歩み寄ってくれる家族もいないんだけど。最後まで、留守電の6件目のメッセージは明かされないんだけど、オスカーはこのメッセージ以外にも、周りの人間(大人)に秘密を打ち明けようとするよね。あと、電話に出れなかったって懺悔するシーン。この行為ですごく思い出したのがまた自分のことなんだけど、子供の頃、私は怖くて言えないことや、怖いという理由だけでなくて人に言えないことがあって、でも、耐えきれなくて、誰かに言おうとする。それは私のリズムだから、周りの大人はみんな聞いてくれなかった。本当は言いたかったし、言わないとぐちゃぐちゃになって私の中の何かが死ぬと思ってた。

おばあちゃんに言おうとして、おじいちゃんに言って、さらにそのあとのシーンでおじいちゃんに留守電のことを言おうとするけど聞いてもらえなかったシーン。私なら、すごく置いて行かれたように感じてしまうと思う。たくさんの人の上の紐に宙ぶらりんになって見てもらえないようなあの妄想の感じを思い出した。

共感する部分がたくさんあって、それと同時に羨ましいと思うこともあった。

いい映画だった。

warnerbros.co.jp

 

「Mommy/マミー」

発達障害の映画ってあらすじ読んで借りてきたけど、まったく感情移入できなかった。私はてっきりその架空の国の法案にのっとて子供を捨てる話かと思ったんだけど、母親が手を焼きながら、でも障害児のいい一面も当たり前だけど映るよ。とにかく納得がいかない。母親に傾倒しすぎる子供も理解できないし、喪女だし愛しい我が子という感じもわからない。私は自分の遺伝子が入った子供欲しくないし、自分自身発達なのすごいコンプレックスに思ってるから、発達を理解できないし。

音楽はとても良かった。し、四角い画面も良かったと思う。

ものすごくうるさくて、ありえないほど近い」はテーマ自体は重いけど、全体的に綺麗に作られてて、出てくる主軸の人たちはそこそこに金も希望もある家庭の中の話だったけど、こっちは毎日精一杯って感じ。こっちの方が私にとっては現実に近い。あとはラストの脱走シーンが一番印象に残ってる。

movies.yahoo.co.jp

 

内容もなく面白くもない日記

www.huffingtonpost.jp

これが面白い。自分はものすごくコミュ障だから、可愛く言えば「恥ずかしがり屋さん」って思っていたのですが、この記事ウオオオオ〜〜〜〜ってしたわ。

話が得意みたいなやつ以外は全部私でした。私は吃るし要点まとめられないし怒ったり仕切ったりができないので、話すのは苦手です。

 

ンア〜〜。帰って映画を見るか、このままタダ働きの仕事を進めるか迷っています。

明日やろうかなと思ったんですけど、それを言い始めたら、映画だって明日でいいわけです。

突然のお話ですが、私は幼少期の頃から、手放せないタオルケットがありまして、今の布は3代目です。帰宅即布吸引してるんですよ。落ち着く。あれがなければ、そんなに家に帰りたいとは思わないのではないかと思います。

調べたらこれは移行対象というらしいです。簡単に言えばライナスの毛布なのだそうですが、私はあの犬が出てくるキャラクターが嫌いなので、その例えを探す方に時間がかかりました。私が勝手に納得した結論を言うと、移行対象を行うこと自体はそこまで深刻でもなくて、何故ならば、特定のキャラクターの人間を集める人・追っかけをしている人などもおそらく移行対象の行為らしいので。でもな〜〜。そんなものなくなったら家に帰ってタオルケットに顔埋めたいってぼんやり思わなくていいのに。

 

精神的な落ち込みってどこから甘えでしょうか?症状が重くてどうしようもない人はまあオッケーかと思っているんですが、この世はゲームじゃないので、そんなレベル表示はないから、どん底に落ちるまでわからないわけじゃないですか。

何故こんな話をしたかと言うと、この間久しぶりに長時間の飲み会があって、酔っ払った私が喋り、さらに先輩も酔っ払ってるから半ギレでめっちゃ喋ってくるという恐ろしい時間を過ごしました。

最近何もやりたくないんですって言って、何故なのか、その悩みを解決するにはどうするべきかを、私1に対して、先輩3でゴバーーと喋りました。

しかし、私の悪い癖なのか、発達が発揮されるのか、私は人の話を把握することができないのですよ。

・聞いてる間に自分の意見を言いたくなってしまい、それは7割ぐらい我慢するけど、聞いてる間に口を開かないだけで自分の意見を脳内で述べている。(しかも3割は我慢できてないので、周りには変だなと薄々気づかれてる)

・自己を殺して真剣に話を聞いていても(そもそもそれが難しい)、メモを取らないとわけがわからなくなる

2つ目に関しては、メモを取れる時はいいけど、パッと出た会話が長引く時なんかは私はインタビュアーでもないし目の前でメモ取ってるわけにもいかないので、困ります。

というわけで、断片的にしかその日のいろんな意見覚えてないです。ちゃんと覚えてたら、考える選択が広がってそうな話でした。今の環境をやめてフルタイムで働けば?っていうのとかかな、とにかく覚えてない。

すごく失敗したな〜と思ったのが、口が滑って「たまに見かけなくなるけどいつも何してるの?」というて質問に「ベットの上から一歩も動けないです」と言ってしまい、薬の話までする羽目にアーーーーーーーーーーーーーー。みんなの記憶を消すために持ってたジョッキを頭めがけて振り落そうかと思いました。できなかったので死にました。

 冒頭の疑問に移ります。

私の相談に対して、「深刻に考え過ぎなだけで、みんなそうだよ!」というのと「とりあえず外出て、あとは彼氏作れば?」と「そのマイナスな面のものをアイディアにして見たら」納得ができなかった部分もあるので、1つ1つ書いていきます。

深刻に考え過ぎ?そうでしょうか。みんな急にわけがわからないうちに体の震えが止まらなくなり、音が怖くなり、涙が出てくるのでしょうか。これは深刻になり過ぎているのかもとは思いますが、みんながそうだとは思えません。でも、私のその状態が、客観的に見て最高値に辛い症状か話わかりません。だったらば、度合いがちょっと中寄りの上というだけで、みんなそうなのかもしれないですね!!!(ちょっとヤケ)

今言ったことにちょっと反しますが、私は医者に「普通の状態なのに病人ぶってる卑怯者だと思う」と相談したところ、「普通の人はそこまで衝動性高く死のうとしない。それが病気なのか思考の癖なのかはまだわからないけど、死のうとする人は普通(健康)な状態じゃない」だそうです。

外に出ないのは、出れない(でもよく考えたら出れないって謎ですね)のと、出て奇行を晒すのが怖いから。穏やかな気持ちで太陽浴びれるなら私だって進んで外に出ますよ。彼氏作ればに関してはアラサーの喪女をなめないでほしいです。

マイナスをアイディアに。無理です。あの焦燥感と、恐怖、あとはよくわからないざわざわしたもの、あんなものを追体験なんてできません。そうなるのが辛くて通院してるのに。あと何を勘違いしてるのか知らないんですけど、私は妄想が見えるタイプの人間ではないのでそんな具体的でキャッチーで一般受けするサブカルみたいなイメージは浮かんだことないです。

みんなそうだよ!って言われたのに対してじゃあ通院までしてる私ってなんなんだろうと思った話でした(まとまらないので強引に終わり。)

 

整理しようと思って書いたけど、何にも整理できなかった。

あと記事を文の途中からリンクで飛んで全文を読むタイプのタグ?にしたいんですけどタグがわからなくて、できない。早口長文オタク感満載の記事が多いので、読み返しててキモい。

 

 

 

映画「死ぬまでにしたい10のこと」他

先週(9月17〜22日)見た映画の感想です。

死ぬまでにしたい10のこと

これ可愛らしい映画でした。スイーツ系があんまり好きじゃなくても見れる女子向け映画だと思いました。

でも最近なんだかんだで、究極の状態になるとパートナーとは別の異性と関係を持つ映画にぶち当たり過ぎる。私は喪女だから難しいことはわからないんだ!!!!!

そして基本的に不倫ものは好きではないんですけど、綺麗に撮ってる映画多いよね。現実、不倫や浮気に綺麗もクソもない。本能がむき出しすぎて怖い。

しかしこの映画、アンがめちゃくちゃ可愛いのね。

語りかけてくる声の高さとか、子供に対する母の顔、夫に対する妻の顔を含めた家庭の環境とか。

そして見るまで知らなかったんだけど、23歳っていう設定なのね。23歳で1人で死に向かうのはちょっと孤独が過ぎるのでは…と思いました。

しかも特に日々の生活に不満があるわけでもないっぽいし。改善すべきことや、こうなったらいいなってことが数ある中で、「後少ししたら、生活も良くなるかな」ぐらいに捉える年齢だと思うんですよ、23のママなら。

やってみたいことの、ビーチに行くは叶えられなかったのかな。10のうちの何個ができたんでしょうか?(見て分かれよという感じだな…)

悲しくて、綺麗にまとまった話だと思いました。音楽も良かった。

movies.yahoo.co.jp

 

「セッション」

思ってたのと違った。

最初は音楽に打ち込むという感じの話かと思ったら、あらすじではビックリじじいの素で生活をめちゃくちゃにしながら音楽に打ち込む的なことが書いてあって、「オオ、そうなんか」と思ったけど、別にそこまで理不尽に感じなかった。何故ならば私のすぐ近くにあんな感じの指導をする人がいるからだ。今はそこまで酷くないけど(私もそこまでひどいこと言われたことないけど)、話聞いてると、親の人格の否定・できないなら死ねっていってたらしいんだよね。だからそんなにセンセーショナルじゃなかった。多分この話はもう少し下の年代の人だったらハラスメントで訴える案件だと思ってはいる。私にはできないけど。

話が逸れた。

音大の人はこれ下唇噛み締めながら見るんだろうか。でも芸大の人の話を聞く限り、音大の人って金持ち多いらしいんだよね。そんな人たちがこんな生活できるとは思わないけど…音楽の世界も結構えげつないというかドロドロしてるよね。

とりあえず私は音楽に造形が深くないので、音の違いや凄さなどはさっぱりわからなくてそこが楽しめたらこの映画見る価値あったんだろうなあという感じ。

テレンスがニーマンに「気づきていないと思ったのか」というシーンは笑ってしまった。そんなに復讐したかったのか?という点で。

最後、結局音楽に飲まれて指揮をしちゃうシーン、自分の専攻にどっぷりな人の典型だよね、結局そればっかりやってる人って片寄って突出しちゃうから、どんなに憎かろうが、やりたいことがあろうが、一瞬の頂点のような感動の前にしたら、抗えなくなっちゃうよね、と思った。

movies.yahoo.co.jp

日記

ブログを書く元気がないんですけど、気分転換?いやむしろ懺悔を込めて書きます。

また追々別記事に書きますが、この間「セッション」と「死ぬまでにしたい10のこと」を見ました。特に後者は良かったです。

水曜日に新しい薬を出されて初日はデブになることが怖くて飲んでいなかったのですが、昨日・一昨日と飲みました。夜に1錠。比較的きいてると思います。

少なくとも木曜日のようにそわそわして徘徊したりはしてないです。また、リフレックスの時ほど眠気もなく(これは薬を飲んでいる時間帯の問題もあるかもしれません)、食欲旺盛になるということもなく(むしろ減っているような気がします)、これを飲んでいて太らなければいうことはないです。

 

すごく反省しているのが、昨日ラリって友人に意味不明なラインを送ってしまったことです。

昨日はご飯を食べながら酒を飲んで、薬局に行き、追加で買った酒を飲んで薬を飲みました。が、食べ過ぎ・飲みすぎで、途中で吐いてしまい、さらに追加で眠剤と抗精神薬を追加で飲みました。要するに指定の二倍の量を飲んだわけです。

私は、専攻にそう言ったメンヘラが比較的おり、そのような状況を多くみきていて、メンヘラ特有の依存や、己の欲望を満たしたいがために他人に迷惑をかける人やことを毛嫌いしています。病気を盾に免罪符にしようとすることなどもってのほかだと思っています。

この点においては、基地外は病院にブチ込めと公言してはばからない田舎の祖母に似ています。(この極端な思考はよくないと思っている)

なので、インターネットの壁打ち以外に初めて他人に対し、状況が露呈するようなメッセージを送ってしまったことを今日起きて気付いてから、すごく落ち込みました。

買った覚えのない食べ物のゴミや着替えた覚えのない服を着て横たわっていたのにも、起きた後に気付き、友達への傍迷惑な行為以外に何をしたのか少し不安です。

全く覚えていないので…。今後このようなことがないように気をつけて行きたいと思います。

しかし最近とみに寂しくて夜帰宅すると2人しかいない友達にラインしたくなってしまい困っています。どちらも働いているのと、なるべく連絡を取る癖を直そうと思っているので、なおさら困ります。これが依存に繋がったらと思うと、自分を捻り殺す勢いです。

 

今日もうっかり、久しぶりに私を匿名の掲示板か何かかと思っているようなメッセージが姉から届き、具合悪いんだよねと言ってしまってから発言を撤回したくなりました。

色々やり取りをした結果、姉から「自分で決めたんだしやるしかないからやれ」的なメッセージが帰って着て落ち込みました。誘導したのは私ですけど、それは私がいつも私に対して呟く呪いの言葉に似ており、改めて言われるとズシッ重くなるものがあります。

今辞めたところで、貯金はないし仕事もできない、休む時間も取れないし、実家に帰ったところで、自分の状況は悪くなるばかりなのが目に見えていますから、今の現状をキープするのが一番の得策です。結構今でも苦しいんですけどね。背水の陣というパワーワードが襲いかかってきます。いきなりプッツリ無理になって電池が切れたおもちゃのように動かなくなればいいのにと思います。

 

全く面白いこと書けないや。

この後またデスクに戻ろうか悩みます。

映画見て寝たいな〜。そのためにはdvd借りに行く所からしなければならないです。

デスクには戻りたくないのでこのまま寝ようかな…。目標分のタスクが全く終わらないまま月曜日を迎えそうです。

 

終わり。

9月20日 通院とかの話

こんにちはgmです。このブログを見ている?人がいるらしくて震えました。

誰も見ないと思ったから始めたのに…。特定されないように気をつけていきたいきたいと思います。

 

とうとう月曜日に一度見るからと言われてしまいました。これは死を意味します。

何をやっていいかさっぱりわかりません。ブログなんて書いて、さぞ元気がお有りかと思われているでしょうが、実際はデスクに来て、ブルブル震える中、ブログを書いて気を紛らわしてから、マイナスなこと以外がかけそうなら手紙の返信をし、それが終わったら速攻で帰宅しています。あれ、元気だね。

 

ちなみに家にいる日は何にもしません。この場合の何もしないというのは、外と私が交流をしないという意味です。インターネットとの受信をひたすら続けます。レスポンスはしません。

元気になりたいのか病気のふりをしたいのかよくわかりません。

この間私のツイッターを覗いている唯一の人に、「お前はなぜ自分だけ誰かと比べてつらくないというのだ?一番つらくなきゃダメなのか」と言われてウーーーーーーンとなりました。そんなことは思っていなくて自分のことは甘えの結果でしかないと思ってしたつぶやきは他人にはそう見えるわけです。客観的に見たらそれって自虐が過ぎてイラつく嫌なやつですよね。笑えませんでした。

3時半から診察なので、それをそわそわしながら待っています。

何を医者に言えばいいんだろう。病院に行くわけですから、何かが不調と感じているのですが、よくわかりませーーぬ。

 

病院行って来ました。

ちょっと笑える(笑うしかない)ので、書きます。

時間的に最後の方の受診だったのでだんだん人は減っていきましたが、私の不調もどんどん加速していきました。

最初はそわそわと落ち着きがなくなっていっていたのですが、だんだんエスカレート。

「アレッ、これやばくない?泣くぞこれ」と思っていたら目からしょっぱい汁が…。汚ェ!!と思うものの、今度は流れているテープの音が気になり始めました。

そう、ここお金がない中申し訳程度に置かれたかのようなテープレコーダーから、クラシックが流れているのです。前の人たちがちょっとずつ押していたので、40分ぐらい永遠と聞いていたのですが、テープが巻き戻る音、キュルルルル~~~~みたいな音に鳥肌が立ち始め、クラシックの音程が私の不安を煽り始めました。後ろから黒いよくない波がグワッと押し寄せるような気がして来ます。衝立の向こうで、ずっとキャッキャ可愛く騒いでる受付のばーさんたちの話し声が耳を引っ掻くような気分でした。要するに最悪なわけです。

私の汚い目汁は何度か止まったりはしたものの、その汚い汁は止まる気配がないので、(そもそも急に気持ちが盛り上がって出て来たものなので、理由がわからないし、音楽や会話をやめてくださいという勇気も出ないので、状況を改善しようがない)とりあえず落ち着こうと、己の手汗でぐちゃぐちゃの手のひらをジーパンに擦り付け(すぐビチャビチャになった)、なるべく角の椅子に身を寄せて、体を縮めて、腕をきつく掴んで名前が呼ばれるのを待ちました。私はすぐに端っこに身をよさて縮まろうとする癖があります、野生ゆえ。

 

呼ばれた後は診察室に入り、医者と面談。医者も私のマスクで半分隠しても出て来ちゃう汚い顔に気づいているのでしょう、問いかけに対してチンタラした返答を待ちながらしきりに過去のカルテを漁っています。(通いはいめて2年ぐらい立ちますが、カルテそこそこ分厚くなってた)

前回の診察から何をしていたかという問いに、「家にいました」と答えたところ、顔を見返して来たので、あれ?日本語すら話していなかったのか?と思って、もう一度同じ答えを言いました。医者は「家」という単語が、実家のことを指すのかと思ったようです。「帰っていません(帰る気はありません)」と答えたところ(本当は首を振っただけ)、親御さんは心配しているでしょうと言われ「私は親と事務手続き以外のショートメール以外数年やりとりしていません」と心の中で答えました。答えていないので、実際は首を横に振って、それだけだとあまりにも子供っぽすぎるか?と思ったので、年相応の対応として「…多分大丈夫です」と、汚い声で答えました。

診察時の私の乱れ具合を鑑みて、抗うつ剤が消えて、抗精神病薬がINしました。

そのまま、診察を終えて、薬を待っている間も私は「フヒィッ」と屠殺前の死を悟る家畜のような呼吸を繰り返しており、何度かやっぱりまだダメですと言って診察室に戻ろうかと思ったのですが、「多分患者が私で最後だし、みんなも早く仕事片付けて帰りたいよな」というのと「戻ったところで何をいうんだ?医者は医者であってカウンセラーではないぞ??」という疑問があったので黙って目汁垂らして薬を出されるのを待っていました。

帰って来て調べたら、新しい薬は検索かけたら頭の方に”太る””眠気”と書かれていて

ギョエエエエエエエ〜〜〜〜〜〜となりました。

今日医者に「所属しているグループの人たちに、あなたの今の状況を伝えますか?」と言われて、政治家のごとく否!!!!!!!と答えたのに〜〜〜〜〜〜〜!!!!!(今日一番の元気なお返事だった。)眠かったら朝起きてしれっと参加するの大変なんだよおおおおおおおおお〜〜〜〜〜〜!!!!!

太るのもやだよおおおお〜〜〜〜…。

これは当事者にも理解不能な矛盾なのですが、

・早く死にたいなと思い続けながら医者には通うこと、

・死にたいのに医者には通って、薬をもらって状況改善のための薬を飲むこと、

・死んでもいいと言いながら、社会的生活を送れる普通の人という仮面を捨てれずに、副作用による眠気や体型崩れなどの対面を気にすること

結局何がしたいのかが全くわかりません。そもそも治る云々以前に、病気なのか?という疑問が付きまといます。私は、病気ではないと思っています。でもそうすると今度は、あら通院をやめればいいじゃんという、別の矛盾が生まれてくるんですよね。

ウーーーーーーン、おっぱい!!!!!!

(苦しい)