mimininimu’s blog

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アラサー喪女がメンタルの話をしているなんの役にも立たない日記

ここ数ヶ月のこと

こんにちはgmです。

順調に体調が悪くなっていっています。前の記事が確か3月?もう5ヶ月も前です。

4月には新学期が始まり、学期が新たになって変わったこともあり、毎日誰にも内緒で爆弾胸にかかえたみたいな気持ちで生きていました。

 

明確にやばいなと思ったのが、多分5月か6月の真ん中くらいの時期です。

勤め先に向かう途中で(この勤め先が今までの中での一番の新しい出来事でそして一番でかいストレスでした)、電車のホームの飛び出しを禁止するための門?みたいなやつがやけに目についたのを覚えています。床が揺れて、それと同時にその門が私にだんだんアップになっていって、漠然と脳内は空っぽでした。

ただ一つ、「もう死んでしまいたい」という気持ちだけがぐるぐるまわる世界の中で明瞭で、なんで周りの人はこのまわる世界の中で、冷静に電車を待っていられるのか?と視線をあげたときに、「あ、この揺れや目の前の物体の遠近感がおかしいのは、私だかが感じてる虚構なんだ」と気づきました。

その日は持ってたリスパダール液をごくごく飲んで、さらに気休めに栄養ドリンク飲んで、働いてきました。

 

翌日、昨日の行動(あまりにもデカく静かに私に伸し掛かる”死のう”と言う命令)があまりにも新しすぎたぞと感じ、カウンセリングか医者に行こうと思い、まずカウンセリングルームに行ったものの、

「ごめんなさいね、今とても混んでいて後数時間後の案内になるの、順番なので」

ええ、それは仕方のないことですね

でも、その日の私は全く冷静さを欠いていたので、渡された記入用紙を見つめて、動くことができません。頭の中で、複数の”死”が手を繋いでぐるぐる回っています。

カウンセリングに来たのだから、目の前の紙に、私は書かなければなりません。

「死にたいのだが、どうしたら良いのか」と、ばかみたいなことを書いて、順番をいい子で待っていて、口を開いて、カウンセラーの傾聴を引っかかりにして、自分で答えを見つけなければいけません。

その時、ただ固まって泣く以外に私は何もできなくて、その部屋を出ました。

精神科のある棟の前で、ウロウロしながら考えていました。

言う人を変えたって、言いにくいことには変わりがありません。結局数時間泣きながら、柱の陰で鼻水をすすって、カウンセラーの予約をとって順番を待ちました。

 

この件でなんやかんやして(あんまり覚えてない)、薬の1日量が増えました。

別日に泣きながら行った医者から月1で繰り返されていた「診断書を書こう」攻撃に抗っていた私はとうとう半年目にして医者に屈服しました。

これは全く関係ない話なのですが、私はあの狭い待合室の中で、私以外に泣きながら待ってる人を見たことがありません。

私だって別に泣きながら待っていたいわけではないので、隣の人に、

「あの、涙を出さないコツってなんですか?」と聞いてしまいたいのですが、

そこまで強靭なハートと、ガッツがあったら、こんな毎日でへこたれていないよね。

診断書にはとりあえず1ヶ月の休養、抑うつ状態がひどいためと読みにくい文字絵書いてありました。

1人に見せたら報・連・相で情報を共有されて、私が必死に隠してた、「gmはメンタルの弱い子」と言う事実が明るみになり、

対応がそれは流石にばかだろってぐらい優しくなったり、当たり障りない風にこちらの状態を探ってきたりと

私はこの事態が嫌だったんだよね、と言う対応をされました。仕方のないことです。

そもそも、確実に精神がおかしいのに普通にしてって言うのが無理だったんです。ここが潮時。

7月はそんな感じで無理やりタスクをこなし、教授の対応に傷つきながら、毎日を過ごしていたら、あっという間に休養届けの期間は終わりました。

 

そして私は今、一年間の休学届けを出そうとしています。

医者は私の決断を褒めてくれました。

「本当はずっとあなたはもう限界で、本来なら実家に帰って療養するべきだったけど、あなたはそれができないと言うし、無理やりやってこちらから足が遠のいたら本当に1人で抱え込むことになってしまうと思ってできなかった」

私は私の決断を褒めることができません。

アラサーにもなった1人の人間の考えを今更止める人はいませんでしたが、私は周りの人に、休めばいいんじゃない?と言われてホッとする一方で、誰か「もっと頑張れよ」って叱ってくれとも思っていました。

その言葉を聞いたら私はきっと泣いてしまうでしょうが、この言葉をどこかでずっと探しています。

それは、私が私にずっとその言葉を投げかけて生きてきて、私の思考が間違っていないと後押しをしてほしいからだと思います。

2年前に葬式でもめて以来、色々なストレスを感じていた家族に嫌気がさし、「もう私は二度とこの地に足を踏み入れない」と決めていたのですが、

もう私はいろんな人の口から否定を聞きたかったので、帰省を決めました。^

実家に帰って「あなたは後何年学生なの?」と聞かれ「体調が悪いから、一年間休学するから後2年」と答えたところ

「何もないけれど、ご飯だけは出せるから、帰ってきたら?」と言われウエエエグギョボゴボ!!!!!!!!!なきそうになりました。

泣かなかったけど。

私の家庭と親族は友人から「八つ墓村」と評されるほど呪いに満ちてるので、選択はNO!!!なんですけどすごくしんどかった。

 

私の明日はどーーーっちだ!